25日、木曜。


午後からNoeのセミナー。

志向性に関するアクセス理論。これまでのsensorimoter approachを一歩先へ進めて、general accessiblityとかskill-based availabilityという発想から志向性の概念を検討しなおしてみよう、という話。

何ヶ所か、"Nothing is given"とかいう言い方がでてきたのだが、知覚のactionismという立場からすればこれはあまりにも当然なわけだ。

Facebookとか東京の女子高生による携帯メールの使い方とか、電子ツールでつながった人間同士の関係みたいなところにも話を絡めつつ、アクセス可能であることが根本的なところで志向性の成立条件を決定しているんじゃないか、という方向で熱心に議論が進む。

ネタのでどころが「サルトル」というのはこの人らしいのだが、基本的にはdisjunctivismの発展的継承ということなんだろうな。

(本人も、「知覚の問題に関してはそう考えてもらってかまわないですよ」といっていた。)