12日、木曜。

午前。ここしばらく、セラーズの『科学と形而上学』に再挑戦中なのだけれど、われながらみごとなまでに理解できない。

もともとは講演原稿だった、ということなんだけれど、これはちょっとついていけんよなあ。

まあ、「三歩進んで二歩さがる」というか、行ったり来たりしているうちになんとなく景色がみえてくるようになることを祈ろう。

ちなみに、下はこの本がらみのエピソードが書かれたH先生の文章からの引用。

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セラーズは、ある種のデーモンを抱えた、常識に富んで円満なとは言い難い性格の持ち主で、講演においても彼の特異な性格が発揮された。ほとんど神話化されているエピソードであるが、Science and Metaphysicsの元になったジョン・ロック・レクチャーにおいても最初講演会場にあふれていた聴衆は、内容がまったく理解できず、講演が始まって数日後には激減し、最後の日の聴衆は五、六人であった。ところが、その日の講演の内容は独創的な洞察にあふれた素晴らしい内容であった、といわれている。・・・(『経験論と心の哲学』/訳者解説)
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ただし、RosenbergとかdeVriesとか、いわゆる弟子筋の人びとは「ピッツバーグにおけるセラーズの「講義」は「ダイヤグラム」の類を豊富に用いたきわめて明晰かつ斬新なものであった」、と口をそろえて証言したりもしているわけなので、「この人はハナから分かりにくいことしかいわない人なんだ/他人に理解してもらうことを最初から考えていない人だったんだ(迷惑!)」、と単純に片付けしまうわけにもいかない。

"youtube"でセラーズの講演を録音したものが公開されているのだけれど、肉声を聞いたかぎりでは意外にまっとうな常識人だったのかもしれない、という印象を受ける。

少なくとも、パースとかウィトゲンシュタインとかクリプキとか、伝記作者(ないし野次馬読者)の好奇心を心行くまで満足させてくれるタイプの「デーモン」を抱えた人ではなかった、ということなのかもしれないないな。

(そういえば、前に「伝記を出してほしい20世紀の哲学者」みたいな話を書いたのだけれど、野次馬根性まるだしでいくとすると、クリプキという人は間違いなく最高の素材なわけだな。だれかやってくれないかなあ。あ、クリプキをモデルにした小説というのはすでに一本でてるのか。)