13日、金曜。

朝。「気楽なことをいってますが、いやいや、ひとごとではないのですよ」というメール一件。

そういえば、アメリカにいるんだったな。

午前。10ヶ月ほど前に書いたものを引っ張りだして読み直す。

ここ一年、時間があるのをいいことに、最初に考えた路線をそのまま強引に突き進んできてしまったわけだけれど、本当にこれでよかったんだろうか、と問い直してみるとちょっと複雑。

「やってるつもりなんだけれど、進んでない」というのに気づいてしまうのが一番しんどいんだな。

妙な意地は張らずに、もうちょっと読みやすいものを読んで書きやすいものを書いて、というのでもよかったんじゃないか(←←もともとそういう人間なんだから)、という気持ちがどうしても消せない。

まあ、すんだことはしゃあないか。

お昼。Live Oak ParkでBAMの一年締めくくりイベント。

みんな本当に大きくなった。我慢づよくなったり、人のことを気にかけられるようになったり。

料理人をしながら夜学で教職の免許をとって、この春からConcordの障害児学校で教え始めた、というBと話し込む。

目的意識をもって40をすぎてから大学に戻ってくる人、というのもいるわけなんだよな。Jrの父親(40台後半で、「牧師だけでは家族を養っていけない」とペンシルベニアの医学部に入りなおして医者になった人)なんかもそうだったっけか。

「経営大学院とかその手の場所に吸い寄せられてくる人はともかく、個別の問題意識を持ちつつ』自分の問題を考えるための道具なりとっかかり』を求めて大学に戻ってくる人というのは意外と多いですよ。そういう人間にとって、哲学を代表に人文学一般を専門にしてこられた人たちというのはまぶしくみえてしまうものなんです。裏切らないでくださいね」、ということらしい。

口先でお茶をにごすとか、「ぼくはそういう専門ではないですから/哲学といってもいろいろありますから」と苦笑いしてごまかす、という選択肢もありなのかもしれないけれど、自分の場合、こういう人からはどうにも逃げられない。

求められた以上は何かを返さないといけないわけだけれど。。。

自分より人生経験豊富な人が、その人なりのフィールドから発信する真摯な質問に答えるのは本当に難しい。

帰り道。Shattuckで連続して知り合いと顔を合わす。

しばらく連絡がつかなかったMはイスラエルに里帰りしていた、とのこと。思っていたより平和そうな顔。

Triple RockのところではD&Eに出くわして、一年お疲れさま、とついそのまま一杯。BAMの人たちも「今日は文句なかろう」と途中からなだれ込んでくる。

夜。流れでMandarin Garden。

ここでもOさんが20代のころの苦労話を聞かせてくれる。差別された思い出とかいじめられた思い出とか、どれだけきつい話題でも笑いにくるんでしまえるのはこの人の人徳だな。