14日、土曜。

朝からサンフランシスコで「運動会」の見物。六月とはいえ、霧がでて寒い。

日本でいうと何気ない年中行事なのだが、音楽にあわせて集団でラジオ体操をしているところになんとなく違和感を感じてしまう。

「集団でいっせいに同じ動きをする」という光景に、どこか「軍事教練」みたいなものを連想させるところがあって、そこに抵抗を感じてしまう、というのがおそらく一番の理由なんだろう、とそのときはぼんやり考えていたのだけれど。

振り返ってみると、日本で運動会のシーズンにラジオ体操をみて「この国の人間はいったい何をやってるんだ、気持ち悪い」みたいな気持ちになることは正直なかったんじゃないかという気がする。むしろ、小さい子が頑張っているのをみると、ほほえましいというか、小さいのに大変だね、というようなことを考えていたんじゃないだろうか。

「みんなでいっしょに」が抵抗感の源なのだとすれば、夏休みの早朝ラジオ体操なんてその最たるもので、「生活習慣やら健康の管理くらい自分でやりますので放っておいてください」となりそうなものなんだけれど、去年の夏なんかですら喜んで近所の神社まで早起き体操に出かけていた記憶がある。

要するに、もともと運動部だったりもするし、「みんなで集まってパアッと景気よくやっときましょう」という雰囲気自体は嫌いじゃない、ということなんだろう。

すると、今回の妙な感じの出所はなんなんだろうな?

どちらかというと、「他人の目線」を意識してしまう、というところに問題があるのかもしれんな。日本だと、ラジオ体操をやってようがみんなで調子をあわせて「気をつけ、礼!」とやってようが、「ああ、やってますね。お元気ですね」ですむのがわかっているのでとくになにも気にはならない。ところが、こちらで事情を知らない人に「♪腕を前から上にあげて、背伸びの体操~」とかやっているところをみられると、「いや、別に軍団を作ってなにかをたくらんでるとかそういうのではまったくないですから」と心のなかで申し開きなり肩身の狭い思いをしてしまうのがいやなだけなのかもしれない。

「よその人にいらぬ誤解をされること」を避けようとするのは普段からの自分の傾向か。

――そんなに心配しなくても、周りの人は君のことなんかそれほど気にかけたりはしていないんだから、安心してもっとのびのびやりなさい。

いや、たしかにその通りなんですが。。。