昨日の午後に洗車していたのだが、花粉がペタペタひっついていてムダだった模様。
お昼。関西圏からの帰宅者がひとり。
春から東京に行くはずなのだけれど、ぶっちゃけ状況がよくなるとは思えんし、この人が晴れて都民になれるのはいつの日になるのだろうか、と。
自分は家でごそごそと仕事させてもらう。
某ペーパーの修正作業。
「再査読」ではなく、「修正なしでアクセプト」の状態なのだけれど、査読者からは(当然のごとく)いいたい放題のコメントがついている。
「どれを切ってどれを取るか」が難しい。
ちゅうか、査読者の素性についても、ある程度の期間がすぎたら公表する必要があるんじゃないかとつくづく思う。
どう考えても「この人読めてないよ」というコメントが、「匿名性(blind referee)」の影にかくれてあたりまえのように「異議申し立ての許されない権威」として通用してしまうのはどうなのかなあ、と。
とくに、「すこしでも自分の気に入らないところのあるペーパーを落とす権利が自分には与えられている」的なコメントをみる経験をしたことがすくなからずあって。
「いわゆるPeer Reviewのシステムに代わるものがいますぐには見つからないからしょうがないんだ」というのは一理あるのかもしれないけれど、「このペーパーはこの人が査読しました」という点については公表していいんじゃないか。
とくに、ペーパーを落とすという判断がなされたときには、投稿者からの異議申し立てのシステムがあってもいいんじゃないか、と。
落とす側にも、それなりの責任というか覚悟を背負ってもらう必要があると思う。
「恥ずかしいコメントつけた人には恥をかいてもらう必要がありませんか?」と質問したら、相当数の人が賛同してくれるのではないかと思う。
『現代カント研究』の例会とかは、そのあたりの緊張感があってよかったのかもしれん。
(「専門家としてカントを読むことはもうないだろう」ということで私はやめちゃったのだけれど。)