2日、月曜。

朝。夏休みなんだし、Lake Anzaに出かけませんか、という話もあったのだけれど、ここしばらく羽を伸ばしっぱなしだし、でさすがにパス。

お昼。用を足しに久しぶりに大学まで。いちおうSummare Sessionというプログラムが行われてはいるはずなのだが、構内はひっそり。

本屋でローティの伝記をみつけて買ってしまう。

「読んではいかん、いまはこんな本を読んでる場合ではない!、時間がないんだってば!!」、と自分に言い聞かせてみたのだが、ついつい面白そうなところだけ飛ばし読み。

登場人物がほぼ同時代人、なかには直接話したことがある人もちらほら、という感じなので、なんというか、他人のウェブ日記かブログでも読んでいるような気分。

『哲学と自然の鏡』がでて、プリンストンからヴァージニアに移るあたりの話がだんぜん面白い。

概念分析主流というか、いわゆる「分析哲学」が圧倒的なオーソドックスだった当時のプリンストンで、ヘーゲルだとかハイデッガーだとかを読み続けるのはやはり息苦しいことだったらしい。

(私なんかは、ラッセルやらフレーゲやらを読んでる人間とハイデッガーなりニーチェを読んでる人間があたりまえのように共存している空気のなかで教育を受けてきたわけだけれど、これって意外とありそうでなさそうな知的風土なのかもしれないな、という気がしてきた。)

自分の生徒に対する同僚たちの評価(「この連中は本気で哲学をやっているつもりなのか?」)も「自分はここにとどまるべきではない」とローティが決心するきっかけのひとつだったようなのだが、ブランダムとかマイケル・ウィリアムズとか、ずば抜けた弟子筋が育ったのもローティあればこそ、なわけだ。いまさらながら、この人の影響力の大きさというのは真剣に考え直してみる必要があるんだろうな、と思わされる。

初耳だったのは、当時のバークレーでちょうどグライスのポストが空いて、ローティがそこにすべりこもうとしたこがある、という話。これは、当時のチェアだったストラウドがすでに後任を決めてしまっていて実現しなかった、ということなのだけれど(1981年の話なので、「グライスの後任」というのはおそらくデイヴィドソンのことだろう)、「リチャード・ローティあてバリ・ストラウド書簡」とかいうものが正式の資料として利用されているのをみると、20世紀後半までもが「哲学史」の範疇に入り始めたわけなんだなあ、と感慨を感じる。

他に、20世紀後半の哲学者で伝記がでそうな人というと誰だろうか? 読み物として面白い伝記の題材になりそうな人、というと、チャールズ・テイラーとかバーナード・ウィリアムズあたりだろうか。

ウィリアムズの伝記なんかだと、たまらなく面白いものになりそうな期待はあるのだけれど、だれかはやいとこ書いてしまってくれないものだろうか。