18日、火曜。

午前。

ずいぶん長くつきあってきた原稿も、なんとなく佳境にさしかかってきた感じ。

踏ん張りどころだな。

午後。Stroudセミナー。来年度入学予定の院生たちが見学にやってきている。

DworkinのTruth and Objectivity。

ずいぶんと内容の濃いペーパーなのだが、そのぶんドウオーキンじしんの立場がみえにくくなっている感じ。

MackieのArgument from Queernessはどこがqueerなのか、というむかしどこかで聞いた話がまたでてきたり。

夜。いったん帰ってからElaine Pagels講演会。“The Book of Revelation: Who Wrote It and Why It Matters Now”

基本的には、文献学的な宗教史の専門家、という地味な位置づけをされる人だと思うのだが、百周年記念ホールの三倍はあろうかという大きな会場が満席になっている。  

「『ニューヨーク・タイムズ』ベストセラー学者」の称号が効いているということなんだろうか。

今日は話の内容もいわゆる一般むけのもの。

何バージョンかある「啓示の書」のうちで、Johnの手によるものがあえて採用されて2000年後のいまも人びとをひきつけてやまないのはなぜか、というのが最初の問いかけで、ヨハネ(『福音書』とは違うほうの)によるストーリー・テリングの巧みさもあるだろうけれど、民衆を苦しめる獣や悪魔たちの姿が暗にローマ帝国の支配者たちのイメージと重ねあわされているところが各時代の政治的状況のなかで苦しむ人びとの共感を呼んできたのではないだろうか、というのがPagelsの答え。

預言者」とはだれのことか、とか、「バビロン」は当時ローマのことを暗に意味していた、とか、「666」はネロを表す数字だとか、あちこちにくすぐり用の小ネタを仕込んであったのは「さすがベストセラー作家」という感じ。

思わずわが身を省みて、授業でもこういう工夫をもっと入れないといけないんだよなあ、と反省させられてしまう。

フロアから、「イラク戦争を『啓示の書』に記された内容の実現だ、これは神の意志に基づく戦争なのだ、と言い立てる人びとがいたけれども、現代世界におけるローマ帝国とはわがアメリカ合衆国のことではないのだろうか。だとすると、われわれこそが神の罰をうける人間だということになるのだろうか」という質問がだされたときに、結構な数の人が心底心配そうな様子でPagelsの回答に聞き入っていたのが印象に残る。

半数ははんぶん笑いながら聞き流していたようだけれど。

終了後、Townsend centerの予算からワインやらチーズやらが大量にふるまわれていた。

太っぱらですなあ。