12日、木曜。

引き続いて雨。

なんとも梅雨らしい梅雨だ。

午前。ダルビッシュ+田中が同時登板とかで、ついネットで野球流しながら作業してしまう。

午後。ここ数日、どうもこう、最近じぶんが何をやっているのかよくわからなくて、ひさしぶりに『三太郎の日記』を取り出してずっと読みなおしていた。

「つくづく自分の出発点はここだなあ」という思いと、「ちょっとは成長したのかなあ」という思いと。

すくなくとも、当時はぜんぜんひっかからなかった(*これだけ書き込みのしてある本なのに、まるで印のついてない)箇所でばかり立ち止まる、というのが面白い。

たとえば、冒頭のこの一文:

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自分は自分の過去のために、小さい墓を建ててやるやうな心持で此書を編輯した。自分は自分の心から愛し且つ心から憎んでゐる過去のために墓誌を書いてやりたい心持で一杯になつてゐる。
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だいたい、どの文章にも簡単なコメントをつけているのだけれど、ここにはまるで何もメモをつけていない。

そらそうか。当時は二十歳前後とかそんなのだもんな。

(*ちなみに、「結論は俺には何もわからないと云ふことである」という文章には「同感の一言」のメモがつけてある。ここの感想は同じ。)

週末の、「読書と哲学」のシンポジウム、このあたりも入れてみていいのかもしれんが。

長くなりすぎるし(そもそも恥ずかしすぎるし)、やめときますか。