八日、水曜。

さむい。ほんとうに寒い。

北海道で竜巻。単車時代に暴風でとばされそうになったことを思い出す。

ドイツ語の教材準備。Michael Endeの文章から、読みやすそうなところの抜粋を作る。読み出すと止まらなくなってしまう。

昼。みれんがましくけりをつけて、11月締め切りのほうの論文を考える。かけるかなあ・・・。さしあたり、デーケン先生関連の本をひっぱりだしてきて眺める。「死生学」の日本における「founder」の名前にふさわしいのは、やはりこの人なんだな、と確認。どの本をみても、がっちりと書くべきことが書いてある。

ただ、「来世への希望」とか、「死と向き合うことで生の意義深さがみえてくる」とか、簡単に言い過ぎてしまうところはやはりついていけない。では、カトリックの背景をもたない人間が、かれの向き合ってきたような問題と本気でぶつからざるをえなくなったときになにがいえるのか。ひとつの鍵は、「死の惨めさ」から目をそらさずに眺められる誠実さ、ということなんだろうか。

「信仰」とか「宗教的経験」の深みというテーマが、どうしてもふれずにすますわけにはいかない問題になってくる。宗教的背景をもたないホスピスって、どういう「スピリチュアル・ケア」をやってるんだろう? そもそも、宗教色ぬきのホスピス運営というのは可能なんだろうか? 日本人にはとりわけ深刻な問題だな。

夕方、これ以上放置できなくなって歯医者さん。たらこくちびるになって帰る。

朝:ピザ。昼:カレー。夜:ちゃんこなべ。