28日、金曜。

午前。新しいことを始めるまえに、いろんなことを片付けなくてはいけない。

お昼。頼みごとがあってJとメールでやりとりをしていたのだが、かれのように敬虔なクリスチャンにとって、"if Jesus was not actually resurrected, our faith is in vain."という形で「イエスの復活」に対する信仰が毎日の生活にとって想像以上に大きな重みをもっている、というのが伝わってくる。

わたし自身は、「積極的な信仰はもたないかわりに、積極的に無神論に与するほど反宗教的でもない」、というタイプの気楽な人間なのだけれど、(「歴史的事実としてのイエスの復活」はともかく)「思想的・言説的事実としてのイエスの復活」というような事態がもつ重みをどう受け止めるか、というのはたしかに大きな問題なんだろう。

「イエスの復活が認められないならば、自分の信仰が、そしてじぶんが生きることの意味を支えているなにかが崩れ落ちてしまう」と真剣に訴える人を前にして、「あなたは本当にイエスの復活を信じているのですか」と正面から問いかけることはすごく難しいことなんじゃないかと思う。

でも、じゃあどうしてそうなるんですか、と聞かれると?

いろいろ考えてみるのだが、いまいち「誰に対しても説得力のある」答えの方向がみえてこない。

夕方。UC全体の新しい総長が決まったらしい。

テキサス大学の現総長で、年俸総額83万ドル+ケンジントンのばかでかい総長宿舎つき(管理費の年間3万ドルはUC負担)、というのが契約条件。

どひゃーー。

お金がまったく火の車、というUCの台所事情でこれなんだから、一流私立の総長というとどれくらいの条件になるんだろう?

(他の大規模な公立大学総長もほぼ同額程度の俸給を受け取っている模様。)