27日、木曜。

やるべきことがたまっている。

物理的移動を必要とするものから片付けよう、とサンフランシスコの領事館まで。

木で鼻をくくる、とまではいわないが、機械的な対応しかしてくれないのはどの国のお役所も同じだな。

ぶらぶら、ジャパンセンターのあたりまで散歩してから帰る。

夜。BAM Performance Night。ほほえましや。

帰り道、Shattuck沿いのPlazaで在米チベット系の人たちによるsilent vigilが開かれている。

こちらにきて、ダラムサラチベット亡命政府出身の人たちとずいぶんと親しくさせてもらっているだけに、ちょっと「遠いところの話」とは感じられない。

今日も、KたちがBAMまで応援にきてくれていたのだが、じぶんのところもTのところも身内がラサにたくさん残っているし、といって暗い顔をしていた。

「政治に背を向ける」つもりはまったくないのだけれど、「じゃあお前はなにをやっているんだ」、「お前に何ができるんだ」、といわれると答えられないんじゃないかと思う。

なにいってもなにやっても偽善にしかならないから、偽善者になって人に/じぶんに笑われるのよりましだから、じぶんは手をださずに傍観する――。

それだけではすまされないことがらというのが確かにある。

しかし、では「選びたまえ、つまり、創りたまえ」のような生き方が自分にできるのか、といわれると、それもまた答えにつまるしかできないんだろう。

わたしはいったい何歳になったんだろう? 気軽に、「カントの『成熟』概念とは」とかギャアギャアいってたころからどれだけ成長できたというんだろうか。