17日、木曜。

ぽつりぽつりと雨。
 
朝から某打ち合わせが一件。
 
日中は秋の準備。

夜。夜更かしもありかと思ってテレビで安保関連のニュースをみたり。
 
「大学生に加えて高校生たちもデモに立ち上がって云々」という特集をコメンテータさんたちが褒めちぎっているのがなんとがあれだ。
 
「こんなけたくさんの市民(多数派!)の言い分を聞かない現政権はおかしいだろ!」的なもの言いがかなりの頻度で登場しているのだけれど、この種の正当化の論理をそのまま受け入れてしまってはいかんでしょう、と。
 
高校生とか大学生とか、若いひとたちが立ち上がって発言しはじめている空気に水を差すつもりは毛頭ないのだけれど、「自分たちの行動がどのような正当化の論理をもちうるのか」という点に関してはもうすこし自覚的であるべきですよ、とたしなめる論調があっていいように思う。
 
「民主主義」が何の疑問もなく「独裁」に対する抵抗概念として持ち出されているのもちょっと気になる。
 
多数者の専制に対するトクヴィルの警告なり、全体主義の宿命をめぐるルソー的な悲劇なり、もうちょっと歴史的な視座に根ざした冷静な議論がメディアに出てきてもよさそうに思うのだけれど。
 
「わかりやすい」議論ばかりがこぞって取り上げられることにはやっぱり気味の悪さを感じる。
 
ちゅうか、こういうのばっかりだからテレビ見るのがいやになるんすよ。