24日、木曜。

夜。昨日、今日と、CNNでBlack in Americaという特集番組をみる。

タイトルどおり、現在のアメリカ社会における黒人市民層の「現実」を追いかけたもの。

もちろん、「黒人問題」といったからといって、露骨なかたちでの「差別」が正面から問題になっているわけではない。これだけ複雑な人種的状況のなかにあって、「人種差別」が少なくとも人殺しや麻薬なんかと同じ程度にいけないことだ、という程度のコンセンサスができあがっているのは、全米どこにいってもそう変わらないのではないかと思う。

バークレーあたりにいると実感としてよくわかるのだが、人口統計的にいっても、(すくなくともこのあたりでは)「白人」市民層が人数的ないし社会的なマジョリティであることはなくなっていて、おそらくバークレーのキャンパスで人数的にマジョリティを占めるのはアジア系の学生(おもに中国系と韓国系で日本人の存在感というのは想像以上に薄い)なのではないかと思う。

要するに、いわゆる白人層による有色人種差別というのは、もはや社会構造としてなりたたなくなるところまできているのではないか、というのが生活してみての実感であるように思う。

もちろん、黒人層のなかでも、公民権運動以前には考えられなかったような世間的成功を収めている人たちはたくさんいて、何十年か前に「黒人差別」という言葉からイメージされていたような事態というのはこの国からほぼ姿を消しつつある、といっていいのではないかとも思う。

ただ、今日の番組をみたところでは、姿を変えた形での黒人問題というのはいまでも根深い、ある意味でいっそう深刻な形で続いていて、麻薬犯罪や暴力犯罪を代表に、貧困と結びついた社会問題のうち、かなりの割合が「黒人」層を中心に生じているのは事実だといわざるをえないらしい。

いくつかの統計的な数字でいくと、白人男性の6倍の黒人男性が逮捕されて牢に入っている、だとか、失業者の半数以上が黒人であるとか、青年黒人男性の死亡原因のうちトップにくるのが「殺人」であるだとか、黒人の子どもの60パーセントが父親のいない家庭で育っていて、その生育環境が黒人男性たちの行く末というか、キャリアパスといったものに大きな影響を与えている、ということになるらしい。

いわゆる「黒人貧困層」といったものが存在している、というのはオークランドの教会なんかをのぞいていてうすうすと感じていたことなのだが、「これが現実なんですよ」と実際の数字にしてみせられるとさすがにちょっとショック。

「公然たる差別がなくなったからといって、黒人にとっての「天井」がなくなったわけではない。この国は、いまだに分裂したままなんだよ」と、黒人ではあるが貧困層に属しているわけでもないSが同じようなことをいっていたのを思い出す。

ある種のラベリングというか、「歪んだ形態の承認」というか、「黒人に生まれてしまったんだからしょうがない、努力したって無駄だ」というような心理的障壁が、想像以上に高い壁として黒人市民層のあいだに浸透してしまっている、ということらしい。