6日、木曜。

午前。Windows XPの新しいサービスパックに更新したら、ハードディスクの空き容量が一気に小さくなってしまった。

しょうがないので、使ってないアプリケーションを外してディスクの掃除をしようと思ったのだが、プログラムを消したぶんに応じてハードディスクの空き容量まで減っていってしまう。

なぜ?

午後。某会合のためセミナーもコロキアムも出られず。無念。

夜。大統領選はともかく、同姓結婚の「追放・禁止」を問題にしたいわゆる<Prop8>に「イエス」が出てしまったもんだから、まわりの人たちはむしろそちらでさわぎはじめている。

カリフォルニアでは、州の最高裁(高裁?)で同姓結婚を認める判決がでていて、それをうけて何千というカップルが正式に「結婚」した状態で暮らしているのだけれど、「いまさらオレたち/あたしたち/彼ら/彼女らに離婚しろというのか? おい、シュワルツェネッガー?」、ということでかなり険悪なもめかたをしている様子。

厄介なのは、この地区の黒人層は大多数が(政治的には)「市民権の擁護・促進」を旗印にオバマを支持しているのだが、その同じ人びとが「結婚」の問題になると「保守派キリスト教徒」の立場からほぼ7:3でProp 8に賛成してしまっているというところ。

妙なねじれがでちゃってるわけなんだが、考えてみれば「国政」のレベルでどこのだれがどんな政策で大統領をやろうが、生活習慣に深いところで根ざした考え方とか人生にたいする態度というのが変わるはずもないわけで。「ねじれ」というよりは「当たり前の事実があからさまなかたちで露出しただけ」、ということなのかもしれない。

4年/8年オバマが大統領をやったところで、あるいは仮にこの国で「国民皆保険」が実現したところで、「生きる気力」というか「前向きに上昇志向で(?)人生を生き抜いていきますよ」式の気持ちをなくしてしまっていて、「おれたちゃまあいいですよ。世の中も自分たちの暮らしも変わらなくたって、悲しい気持ちは神様と音楽が慰めて/救いを与えてくれますから」という層の暮らしはおそらく変わらないわけだ。

(毎週日曜日に教会まで祈りに来ている人たちなんてのはまだ「前向き」なほうの人たちじゃないのか、とさえも思うわけだけれど。)

火曜日の勝利演説で、「二度の世界大戦、大恐慌公民権運動を経験してきた106歳の黒人女性」が、「アフリカ系アメリカ人大統領の誕生」を目撃した、という挿話を引き合いに出しつつ、「自分の娘の世代が22世紀まで生き延びて100年後のアメリカが州国をみたとき、彼ら/彼女らに自分たちがなにを残すことができるのか」という言い方をオバマはしていたわけだけれど。

彼の娘の世代の将来、というのは人ごとでもないわけで、ちょっと考えてしまう。