8日、日曜。

午前。先日の勉強会の折りに、参加者の一人から教えてもらったラジオ番組を聴いてみる。

ホストはスタンフォードのJohn PerryとKen Taylorで、一人のゲスト(専門の哲学者)と電話参加の一般リスナーを相手に、この二人が哲学上の問題を縦横に論じる、という構成。

今回のテーマは「悪の存在」ないしはTheodicy。最初に、ペリーが「この世に悪が存在することのなにが問題なのか」と「弁神論」をめぐる哲学史上の解説をして、その後リスナーむけに議論の場所を開放する、というスタイル。

聴いていて、問題の立て方とか質問への導入の仕方がものすごくうまい。一/二回生むけの「哲学入門」の類もこんな雰囲気で進められたらなあ、と本来のトピックとは違った方向から番組を聞いてしまう。

この番組の「聴きやすい/話しやすい」雰囲気は、専門家ふたりの「かけあい」形式でトークが進む、というところにトリックがあるのかもしれない。ペリーがなにか発言すると、テイラーがからかい半分に合いの手を入れる、あるいは、リスナーからの発言にはゲスト・スピーカーを含めて違った角度からコメントが入るようになっているので、それが聞き手に単調なイメージを抱かせないための工夫としてはたらいている、ということなのかもしれない。

いってみればシンポジウム形式のトーク番組なんだけれども(しかもおそらくは生放送)、一般にシンポジウムの出来・不出来というのは司会者の腕力によるところが大きいわけで、単純に「John&Kenのスタイルを真似してみました」というだけでは大コケする可能性のほうが大きいのかもしれない。

公共の空間で「哲学」を話題にするときの「話術」というのは自分にとっても大きな課題なわけだけれど、もうちょっと数を聞いてみて参考になるところがみつかれば、という感じなのかな。