31日、土曜。

朝。サンフランシスコまで。

バークレーの丘にある、Lawrence Berkeley Labにお勤めのWさんとお会いしてちょっと立ち話。

相変わらず、あっちこっち飛び回りながら毎日を忙しく過ごされている様子。

実験して、その成果を各地で発表してまわって、という生活にはなんとなくあこがれを感じてしまうのだが、これはたぶん自分がそういう生活を送ることになる可能性はかぎりなくゼロに近い、と自分でもわかっているからなんだろう。

これが、哲学の同年代の人とかだったりしたら、やはり悔しかったり嫉妬したりという気持ちがでてくるんだろうな。

いや、このレベルだとまだちょっとスケールが違うので、「いや~、たいへんですねえ」とか意外と平気でいえてしまうかもしれないな。

むしろ、もうちょっとスケールの小さな話(同級生が就職したとか本をだしたとか)のほうが悔しさのリアリティが増してはらわたが煮えくりかえってりすんじゃないかという気がする。

うーん、われながらちいさいな。ぐりぐり。

午後/夕方。空き時間にエマーソンとヨセミテのつながりが書かれたものを読んでみたり。

マリポサの森を開いたClarkとも会ってはいるのだけれど、むしろ、John Muir――Yosemite Valleyを開いたり、シエラ・ネバダの森林一帯を国立公園に指定するようリンカーンにはたらきかけたりした人――との交流のほうが深いところでなされていて、ヨセミテ(とイエローストーン)を国立公園として保存しよう、という運動にはエマーソンの思想が決定的なところで影響を及ぼしている側面があるらしい。

たしかに、当時の感覚からすれば、多額のお金をつぎこんでまで「人間の手が入ってない自然」を保存する必要がある、という考え方には新しいところがあったんだろうし、その斬新な運動の背景にエマーソンという巨人が控えていた、というのはよくわかる話だと思う。

もっとも、今日みたかぎりでは、「松ぼっくりが○●インチ」とか「垂直にそびえたつ岩の高さは△△フィート」とか、その程度のものしかエマーソン自身の記述はみつからなくて、ちょっと肩透かし。全集なり日記なり、丁寧に調べればもっとでてくるんだろうとは思うけれど、そこまで深入りするわけにはいかんしなあ。。。

夜はのんびり。