文体模写遊びにはまってしまった。
自分の文章をおそれ多くも西田風にしてみたり、某国立大学総長風のひらがな多用バージョンに変えてみたり。
中身は一緒でも印象がそこそこ違ってくるのが楽しい。
「自分の文体」というものを一度真剣に考えてみていいのかもしれない。
練習なしで身につくものでもないのだろうし。
お昼。ネット上の文体診断サイトによると、私の文章って硬いものだと「岡倉天心風味の九鬼周造」、軽いものだと「ちょっぴり松たか子が入った浅田次郎ないし小林多喜二」になるらしい。
へぇ~。
午後。身近な知り合いの文章で勝手に文体診断して遊ぶ。
ちゅうか、こんなことやってる場合ではない。
俺の馬鹿。
夕方。
自分にとっては「先生の先生」にあたる碩学の訃報を聞く。
(バークレーでも妙な縁があったんだったな。)
時代というのはこうやって流れていくものだ、と頭ではわかっているのだけれど。
いろいろと考えてしまう。