10日、木曜。

朝から上ヶ原。

雨がふったり、かと思えば急に青空がのぞいたり。

授業ひとつとゼミひとつ。控え室で哲研の先輩にお会いしてほっとした気分になったり。

なんというか、大人数の授業をやった後って「責任者」の心理的重荷をおろしたくてしょうがないんだろうな。それで、自分より目上の人に会うと、「この場はこの人のまかせれば大丈夫」式に気が抜けてしまう、という。

「生徒」気分で参加してるゼミでも同じか。好き勝手、なんでもきままにしゃべってもよい、という幸せ。

しかし、パットナムって、結構いい加減なことを書く人なんだなあ。

夜。ライオネル・トリリングの授業を熱心に聞いてくれている学生さんから教えてもらったサイトをみる。なんだか身につまされてしまう。。。

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有名コピーライター
それは、ぼくも言いたいんです。
それ[自分が本当にやりたいこと]は、わからないって。
何をしたいって、
ドラマみたいにそんなにきれいに、
若いときにわかるわけがないと思っています。

有名遊園地系会社の偉いさん
わからないですよね。
若い頃から決まってたら、
ある意味、しあわせですよ。

有名コピーライター
いや、ぼくはそれを
しあわせだとは、思わないんです。
「自分は好きだから選んだ」
という幻想の中にいて、
その演技をしていて、その演技がうまくいくと、
「目的があるんだ」っていう芝居が始まるんです。
「ぼくってやるやつ!」みたいに思えるから、
そこで、本当の心配をしなくてよくなっちゃうんです。
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ガツン、とはきてもダメージは受けなくなった自分は鈍感になっただけなんだろうか、それとも成熟したということなんだろうか。

私のまわりには、鼻で笑うだけの人たちもたくさんいるわけでしょうが。

「就職」とか「生涯の仕事」って、疑問の余地なく一生の一大事なわけだよな。シニカルに世間を笑いながら哲学をやってる人だって、自分の就職先の大学に関しては地理的条件とか社会的ステータスとかを気にしたりしだすわけだし。

「仕事」が人の一生におよぼす影響というのは、少なくとも教養の授業で話してみるに値するテーマなんだろう、という気がしてきた。(論文にはならんだろうな。。。)

シラバスだしちゃってるし、できても来年の春、か。

なにがあっても人生は回る。そっちのほうがよほど大切なこと、なんだろう。

朝:コーヒー。昼:マーボー丼。夜:ハンバーグ。