8日、火曜。

Collective Intentionality初日。

午前。Moses Hallに集まってregistrationの準備。配布資料をそろえたり参加者の名札を並べたり。

何人かの人間と一緒に作業をしたのだが、イタリア出身のふたりのうち、Fは「いや、名札の列はまっすぐにそろってないとみっともない」とゆずらず、Mは一時間半ほど遅刻してきて「やあやあどんな感じだい」と悪びれるところもなし。

ドイツ生まれのKは、資料のパケットを作るのにも名札をアルファベット順に並べるのにも、「どうすれば一番効率よく進むだろうか」と理屈を突き詰めてから動こうとする。

(日本人の私はなにもいわずに黙って従う。)

こういうときには一人ひとりの個性がよくみえて面白いもの。

午後。サールの基調講演で全体のプログラムがスタート。

何をしゃべるのかな、と思っていたら、Social Ontologyに関するこれまでの議論の総まとめのような話。どっかで聞いたことある話だ、と途中でうとうとしてしまう。

午後ふたつめはR。Normative PragmatismをAI理論の立場から新しく定式化しなおしてみよう、というもの。

AIプログラムの領域に「理由を与え/求めるゲーム」の発想をもちこむことで、SIMSなどで使われていた古いプログラムの限界を超えてみよう、という試みなのだが、「imcompatibility of entitlements」一本やりで「哲学AI」みたいなものまで実現してしまえるか、というと、細かいところでいろいろと問題がでてきそうな感じ。

もっとも、かれにいわせれば、「現場のプログラマーからすれば、『象が芸を覚えた』という現実的な成果だけでまずは満足するべきで、将来的には高度な芸を覚えさせるにしても、まずは足元の小さなハードルをクリアすることしか自分は考えないようにしている、ということ。

夕方。それにしても暑い。みんな汗だく。

そんななか、一人だけ三つ揃えのスーツにネクタイ、背筋はピンとまっすぐに伸ばしたまま表情はかたときもくずさず、厳しい視線を周囲に送り続けている御仁がいらっしゃった。

彫りの深い顔立ちも迫力満点で、50メートル先からでも「ただものではない」というオーラがビシバシと発散されているのがわかる。

おそるおそる近づいて話を聞いてみると、イタリアのシシリア島出身なのだがそれ以上は聞かないでくれ、という(笑いながらの)返事。

ここまですごいのをみたのは東洋史のY先生以来だな。

夜。レセプション。よく聞いてみたら、Rはギリス先生の同窓にあたるんだそうで、オペラとかなんとかでM先生とも浅からぬ因縁があるとかなんとか。

世界は狭いもんだ。

奥さんが日本人、という迫力のないシシリア人(夕方の人とは別人)と話したりしてから帰る。