三日、水曜。

午前。道徳心理学でMoran。心の哲学における一人称/三人称の非対称性が道徳的推論にどう影響するか。

午後は図書館。

夕方。マーティンのセミナー。

教室がでかい建物の中なので、毎回たどりつくのに一苦労。

今日も、あちこちうろつき回っているとジョン・キャンベルにでくわす。

たすかった、と思ったら、「マーティンの授業は何番の教室だったかな?」といわれた。

キャンベルのスコットランドなまりというのは、日本語でいうと東北弁の感じだろうか。

リズムがすごく音楽的なので、一言ふたこと話をしただけでほのぼのした空気が漂いはじめる。

「哲学290」という名前のついた水曜日四時始まりのこの授業は、オックスフォード仕込みのマイク・マーティンが華麗なクイーンズ・イングリッシュを駆使しつつ"other mind"の問題に手際よく切り込み、現代的論争の最前線を快刀乱麻を断つがごとく処理してみせる、というもの。

とにかくマーティンのしゃべりは流麗にしてよどみがない。

取り上げられる題材も、ドレツキやらカッサムやらピーコックやら、私なんかだと「ちょっととっつきにくいな」と感じる少なくとも通俗的ではない名前が並んでいる。

要するに、華やかというか上品というか、ため息のでそうな「気品」というものがこの授業には漂っているわけだ。

そこに、キャンベルが例のスコットランドなまり丸出しで割ってはいる。音だけ聞いていると、どこかの田舎のおっさんが、

「あんの、すんませんけどもぉ、農協はどちらにありますかいなあ?」

といきなり紛れ込んできた感じだ。

当然、そこで「ほっ」と一斉に空気がゆるむ。

ところが、キャンベルの質問はいつもピンポイントで急所にずばり、という鋭いもの。内容的にはかれの一言をきっかけに議論が一気に緊迫する、ということが多い。

この音と内容のギャップというかアンバランスぶりに、わたしなんかは必死で笑いを抑えているのだけれど、ほかの連中はどう感じているんだろう?

聞いてみたい気もするけれど、ちょっと失礼な質問だしなあ。。。