13日、その2。

ネットで他の物件など調べてから、自転車で候補になりそうなところを一回り。

北に向かうとあっというまに高級住宅街。丘のほうに登っても同じく高級住宅街。

ホテルのあるあたりは、街としても一番古くて(一部は「ビクトリア朝時代の農家風」というふれこみだった。)、そのぶん家がぼろっちかったりほこりっぽかったりして、おかげで家賃も安くって、ということになってるらしい。

しかも、歩道の雑草とか街路樹の手入れというのは市の行政サービスにはなっていないらしく、それで「自宅ちかくの環境」に対する住民の意識がもろに景観に跳ね返ってしまう、ということらしい。(じっさい、ひどいところでは歩道の雑草も庭木らしきものも草ぼうぼうの伸び放題、一部ではススキ(ではない?)みたいなのがうっそうと茂って歩道が完全に通行不能、というところがあった。おばけ屋敷じゃないんだから。)

やれることは自分たちで力を合わせてやる。自分たちでやらないのならだれもやってくれはしない。

どうってことのない話だけれど、これが「アメリカ民主主義」の原型なんだろう。隣のクレーマーというか、「汚いし面倒くさいからあなたなんとかしてくださいよ」とお上に苦情をいってそれでおしまい、というのとは、「公」というものに対する意識が初手から違うんだろうな。

行政の手が入らず、住民の「自治」に任せっぱなしになってるもんだから、ブロックどころかストリート一本ぶんちがうだけでがらりと雰囲気が変わってしまう場所がある。

わたしは熱心な活動はしてませんが、そのぶん結果に文句はいいませんし文句をいわれる筋合いもありません。だってそれは当然じぶんの責任でありまたあなたの責任でもあるわけですから、と。

ぶっちゃけ、個人的には、「どこかの小人がいつのまにかなんでもきっちりやってくれている」という日本式システムのほうが好みなんですが。(これは、「日本人」にしがみついてる自分がいつまでたっても成熟しない、ということの裏返しでもあるのだろう。)

アメリカ式の「自助自営」は「強いひとびとの論理」なんだろう。まだ二日程度の話でしかないけれど、あれこれ人とやりあっていると、「気を強く張って、alertにしていなければならない」という気分をひしひしと感じてしまう。

それも一つのやり方ではあるんだろうけれど、これって結構疲れることなんじゃないだろうか。