23日、木曜。

午前。YWCAまで、客員研究員とその家族を対象に、ボランティアの人たちが開いてくれている集まりに顔を出す。

日本の人たちもかなりの数が参加している。これだけの規模の大学だし、当然といえば当然なんだろうか。

次々とネットワークが出来上がっていく様子は壮観。たくましい。

午後。ちょこちょこと小学校の様子をみてまわる。

夕方。バスに乗ろうとして失敗(?)する。本来、バスに乗り込む時点で乗車賃を支払わなければならないはずなのだが、それをしらずに乗り込んでしまった。

普通に考えれば、運転手さんが「おい、ちょっと待て」とかなんとかいってとめるところだろう。しかし、なぜだかそこがお咎めなし。なんの問題もなく入り口のところを素通りしてしまった、ということらしい。

バスのなかで乗り合わせた人に話を聞くと、「知らなかったわけだししょうがない。天からの贈りだと思ってそのまま降りてしまえばいいよ」という。

それもそうなのかもしれないが、私のような小心者の精神構造は、バス代よりも「悪いことしたなあ。ビクビク」という精神的コストを回避するほうを優先するようにできているらしい。

運転手さんに話をすると、今度は運転手さんがバス代の足し算を完璧に間違える。本来、4ドル35セントになるところが「ぜんぶで4ドルだな」という。「いや、それじゃあ50セントほど足りないと思うのだか」と頑張っても「いや4ドルでいいよ」というのが彼の返事。

おおらかというか、いい加減というか。

実をいうと、数日前にもスーパーで同じようなことがあった。買い物をして、29ドル少々の支払いに30ドル分の紙幣を渡したら10ドルと少々のおつりが返ってきた。

レジのお兄ちゃんがおつりを10ドル余計に間違えたわけだ。

このときも、これはしょうじき気持ちわるいなあ、10ドル程度のお金よりは気持ちよくその日一日を過ごせたほうがお得だろう、ということで、「お釣りが多いですよ」とお金を返すことにした。

わずか十日程度のあいだに同じようなことが続けて起こるということは、やはりこちらの人びとの行動にはあるていどいい加減なところがある、ということなんだろう。

今回は自分が得するパターンで相手のミスに気づいたわけだけれど、自分が損するパターンで相手がミスをしでかる、ということもあたりまえのようにでてくるんだろうな・・・。

ふう。