7日、木曜。

午前中に会議が一件。
 
二時間ほど。
 
お昼。某ゲラの校正続き。
 
清書して発送。
 
午後は事情があっていわゆる「新」京都学派関係の文献を飛ばし読み。
 
知らなかったのだが、上山春平って、プラグマティズムの研究をやってたのはむしろ初期だけで、実際は梅原猛なんかと組んで日本学というか国家論とか天皇論をやっていたらしい。
 
わたしには、どうしても、「世界の名著でパース・ジェイムズ・デューイの巻を編集した人」(とか、関哲で若き日の某先生の発表の司会を寝坊してすっぽかした人)というイメージが強いのだけれど。
 
ついでに、今西錦司下村寅太郎が京都一中の同級生だったことをいまさら教えられる。


(往復書簡とか対談記録は読んだことがあるのだけれど、同級生とは思ってなかった。)