「文科省さまが何をやろうとしておいでなのかの本気資料が公開された」とかで、あれこれ大騒ぎになっている。(=>とくにひどいのがこれ)
この資料によると、「これからの大学」では各々次のような実践的能力を習得することになるらしい:
=>「英文学部」(そんな学部存在するんだろうか?)では、「シェイクスピア、文学概論ではなく、観光業で必要となる英語、地元の歴史・文化の名所説明力」。
=>「経済・ 経営学部」では、「マイケルポーター、戦略論(筆者は日本のトップ戦略コンサルタントの一人だが、ポーターの5Forcesは使ったことが無い)ではなく、簿記・会計、弥生会計ソフトの 使い方」。
=>「法学部」では、「憲法、刑法ではなく、道路交通法、大型第二種免許・大型特殊第二種免許の取得」。
=>「工学部では、機械力学、流体力学ではなく、TOYOTAで使われている最新鋭の工作機械の使い方」。
ちなみに、この将来構想に従うとき:
「文系のアカデミックライン(Lの大学には、従来の文系学部はほとんど不要)の教授には、辞めてもらうか、職業訓練教員としての訓練、再教育を受けてもらう」。「理系のアカデミックラインでGの世界で通用する見込みのなくなった教授も同様」
⇒英文学の先生は全員、TOEICの点数獲得教育能力を、経営学の先生は簿記会計2級合格や弥生会計ソフトで財務三表を作らせる訓練能力を、法学部の先生は宅建合格やビジネス法務合格の受験指導能力を、工学部の先生にはトップメーカーで最新鋭の工作機械の使い方を勉強し直してもらう」
ことになるんだそうだ。
ジョークですむのなら救われた気もするけれど、この手の「点取り競争と金儲け以外やったことないし興味ありません」的な人(初対面で、「ぼくはセンター試験○○点だったんすよ。あなたは?」とか言いだす人と同系列のにおいがする)を相手に、どこまでまともな抵抗の論理を準備できるかといわれると、けっこう難しいのかもしれない。
せいぜい、
「地方にも優秀な学生はいる。彼らの可能性を、18歳かそこらで限定してしまうわけにはいかない」
とか、
「遊んでばかりで何にもなってない」の批判は当たっている。けれど、これは「勉強しなけりゃ卒業できませんよ」を徹底すればいいだけの話だろう。必要なのは、授業と成績評価のありかたを本気かつ根本のところで改変することであって、極端な実学教育へと舵を切ることではない(「「とにかく学級崩壊しないように」とビクビクしながら授業するのはもうやめよう」、というのはわたし自身の本音でもある。)
とかくらいだろうか。
(もうちょっと、「なるほど、そんな視点がありましたか!」的な発想を出すことができれば、それで逆説的に「哲学の有用さ」の一例を示すことになったりするような気もするんだが。)
しばらく自分なりに考えてみましょうか。
午後はなんともやりきれない気持ちで授業。