29日、木曜。

ふらふらと明け方に帰宅。

ばたんきゅー。

午後。頭が回らんなあ、と思いながら、倫理学史上に燦然と輝く某古典の読み直し。

あちこちで「こういう話なんすよ」と紹介されているのをみるばかりで、現物を拝んだことがなかったもんだから、「これはいかんよな」と前々から思っていた本。

オリジナルをみれば、「世間ではなんとかかんとか、ステレオタイプな紹介ばっかりされてますが、本当はもっと深いんですよ!」式の新発見があるかと夢みていたのだが、あらかじめのバイアスが強すぎて読みたい情報だけ探りあてては読み進めている感じ。

よくできた旅行記を読んだあとで現地見物にでかけたらこんな感じなのかもしれんな。

「ああ、ここがあの本で出てきた○○なんだ。書いてあるとおりだなあ!」と感心するばかりというか。

概説書の類なんかに、よく「解説書を読んで哲学がわかった気がするのは、観光案内や旅行記を読んでその場所を見た、知ったと思うに等しい。読者には、これだけ読んで○○がわかったと思うことなく、みずからの力で原典にとりくまれることを期待したい」とか書いてあるわけだけれど、これもある意味きれいごとだわなあ。

あらかじめの情報をもっちゃうと、その情報に即した仕方でしかテキストがみえてこないというか、「本音でいうならあの有名な場所が見物できればそれでいいんすよ」というのはもっともな気がするわけで。

「それは君が観光旅行みたいなことしかやってないからだ。本当の旅ってのはもっと奥深いもんだ」とかなんとかいわれるとそれまでなのかもしれないけれど。

う~ん。

旅行記だけってのはともかく、一応旅はしてるわけだからいいじゃないですか。ただの旅行もけっこう面白いものなんだから。観光旅行バンザ~イ♪」とかいってるとやっぱり怒られるんだろうなあ・・・。