21日、木曜。

久しぶりに晴れて暑い。

午後。旅行中だった人びとが帰ってくるので出迎えの準備。

「21」という数字が、私にはちょっといわくのある数字なのだが、そういえば去年の今日も出迎えにサンフランシスコまで出向いていったんだっけ、というようなことをふと思い出す。(といっても、今回は近所のBARTの駅まで出かけるだけだったのだけれど。)

夕方。ダウンタウンの中華料理屋さんに出前を頼んだのだが、いつもの人がいなくていまいち話が通じない。

適当に注文したら、30分くらい後にそのいなかった本人から電話がかかってきて、「なんだかへんてこなメニューなので適当にアレンジして届けますね」ということ。

大人数分の中華料理をまとめて注文した経験がないので、まあこんなもんだろう、と自分なりに見当をつけてやってみたのだが、プロの目からみるととんでもないオーダーになっていたらしい。

なにごとにも先達は、というやつなんだろうな。

夜。引っ越してから、自宅のネットをつないでおらず、同じ建物にある図書室のようなところまで出かけないとメールなりが読めないようになっている。

階段を下りればすぐだし、なので、それほど不便でもないのだが、やはり寝る前にちょっとメールとニュースをチェックしよう、というような使い方はしなくなった。

ぼんやりウェブをながめているうちに何時間も無駄にしてしまった、というようなことがなくなったし、大学のLANにつながるので電子ジャーナルがそのままダウンロードできたりと便利なところもあるのだが、そのかわりあれこれ話の種になるような情報もあまり手に入らないようになってしまった気がする。

とくに、ちょっとしたニュースなんかは「なんとなく、ぼんやり」ウェブを眺めているあいだに仕入れることが多かったので、ここ一ヶ月ほどでいわゆる「世間の動き」というものにうとくなってしまった。

べつに「知らなくてもさしつかえない」のはよくわかっているし、「知らないと困るようなニュースはいずれ耳に入る」ともわかってはいるのだが、「世の中の動きがいまいちわかってないのはなんとなく不安」という気持ちが心のどこかに巣食ってしまっているらしい。

オリンピックで日本人選手がどうなったとか、あまり興味のある話でもないし、わかったからってどうなるわけでもない、と言い聞かせるようにはしているのだけれど。