20日、金曜。

一週間ほど、なんとなく気分的に落ち着かなかったのだが、今日・明日はゆっくり時間がとれる予定。

午前。ちょこちょこと調べたことを文章にしていたのだが、いまいち集中できず。ぼんやりと考えごとにふけってしまう。

はやいもので、今年でOD生活も七年目(!)に入ったわけだけれど、はたしてこのままでいいんだろうか、あるいは、もっと切実には、自分はこれからどうなるんだろうか、と。

去年・今年みたいな状況はあくまで仮のものにすぎないわけだし、明るい未来が確実にみえているような状況でもなし、要するにやがてはもとのOD生活に戻る可能性というのを考えておかざるをえないわけだ。

たしかに、(自分ではそれなりにやってきたつもりではあるのだけれど)学部をでてすぐ社会人になった連中に比べれば、ずいぶんとのんきな暮らしをさせてもらってきたわけで、その意味ではわれながら気楽な毎日をすごせていることに感謝しなくちゃいけないんだろう、とは思う。

しかし、のんきにODをやっているからといって、それがかならずしも「時間に自由のきく」気楽な生活を意味するかといえばそうとはいえないわけで、自分の本当にやりたいことができているかというとそうでもない。

水曜日にCさん――かれも私と同じような境遇で暮らしてる――とも話していたのだけれど、いろんなものを抱えながらやっているぶん、経済的な負担も大きいし、日ごろのちょっとした生活上のことがらでも時間はどんどんなくなっていく。

往復2,3時間かけて授業をしにいっては家に帰り、食器を洗ったりとかいろんな用事をやっているといつの間にか夜、ということになってしまうわけだ。

そんなこんなで生産性のあがらない毎日をすごしながら、書類を書いてるときに「職業欄」とかいうのがでてくるとたまらなくみじめな気持ちにさせられてしまうものなんだな。

――いったい、自分は何をやってるんだろうか、と。

(そういえば、世のなかの人に、「OD」とか「大学非常勤講師」というような言葉はどの程度認知されているんだろうか? 立派な職をもっている親御さんなんかとの集まりで、「職業は?」と聞かれて「大学の教員です」と応えると、十中八九「うわ、大学の教授ですか、えらいんですねえ」とかいうふうな返事を返されてしまう。もちろん、自分がうそをついたわけではないのだけれど、相手の反応はどう考えても誤解しているとしか受け取りようがないわけで、「いや、違うんです、そんなに大したもんじゃないんです。もっと下っ端なんです」と必死で弁解するしかないのだけれど、そういうときのなんというか惨めな気持ちというのは正直あまり繰り返して経験したいものではない。)

外資系の金融業界なんかで働く「企業戦士」たちであれば、胃に穴を開けながら「喰うか、喰われるか」の毎日を送っていてさえ「いつ首を切られるか/ミスすればおしまいだ」のプレッシャーにさらされ続けているわけで、そういう人たちからすれば「生活上の不安と引き換えにのんびりした暮らしが手に入っているんだからそれはそれでいい身分じゃないか」ということになるのかもしれない。

「時間がないといってるが、充分時間はあるじゃないか。君の時間管理がいい加減なだけだ。まずは睡眠時間を削るところから始めなさい!」と。

そうなんだなあ、たしかに。15分あれば15分、30分あれば30分を有効利用できるようななれればいいんだけれど。

いや、思ってるだけじゃだめなんだな。15分でぼんやりとでもいいからなにか読むものを決めておく、とか、小さなことからでも実行に移さないと。