28日、土曜。

イメージ 1 サクラメント最終日。

予定は午後からなのだが、時間的に窮屈で動くに動けず。チェックアウト後もしばらくホテルの部屋を不法占拠する。

お昼。ホテルを出て近くのモールで昼食。どうみても、こ洒落たスポーツバーみたいな場所なのだが、実体は日本食レストラン。

青いライトの照らし出すフロアで大リーグ中継みながらいくら丼を食べる、というのは貴重な体験。

午後。南サクラメントに場所を移して公開レコーディングのリハーサル。

総勢100名強のマス・クワイアでステージが狭そう。(一人で平均的日本人1.5人分のスペースをとってるような人も多いし・・・。)

夕方。いったん解散して、滞在組はホテルに戻って着替えたり。移動が黄色のスクールバスだった。体格のいい歌い手さんたちが子どもサイズのシートでギュウギュウ詰めになっているのはちょっとしたみもの。

ちょっとコーヒーでも飲んで休憩しよう、と会場を出たものの、街がだだっ広くてなかなかいい場所が見つからない。

30分ほど走り回ったあげく、近所のマクドナルドに落ち着く。

夜。本番スタート。

チケットはほぼ売り切れで、そこそこの規模の体育館が満席になっていたので、五百人くらいは入っていたということなんだろうか。

(自分の高校の体育館くらいの広さで、そこに椅子をいっぱいに並べて、という感じだったから、入学式とか卒業式と同じ程度の人数なんじゃないか、という大雑把な計算。)

途中。神様が降りてきて、一人でぐるぐる激しく踊りまわったあげくに失神する人がでる。

普通の感覚で行くと、「すわ、異常事態か!」と会場はハラハラ・ドキドキの大混乱におちいり、会場係がその人をなだめつつ事態の修復をはかる、というイメージなのだが、周りの反応はむしろその逆。(教会で普段の日曜礼拝をやっていても同じような人がほぼ毎回登場するのでこんなのは日常茶飯事の範囲内に収まるらしい。)

面白い、といっては不謹慎なのだが、オークランドの教会の人なんかにとって、この程度のハプニングは当たり前の出来事になっていて、周りから離れて狂ったように踊りだすひとがでると、バンドのメンバーが音楽を踊り用のものに切り替えて、会場の雰囲気がその人の踊りをサポートするような感じに変わる。もちろん、会場の人たちは総立ちになって、ズンダカズンダカというドラムのリズムにあわせてみんなで拍手。

で、5分ほど踊り狂ったあげく当人が力尽きて倒れると、待機していたusherたちがおもむろに赤い毛布をかけ、万雷の拍手のなか英雄が会場の隅っこまで運びだされる、という段取りになる。

要するに、「神がかり」というのがわりと当たり前のことになっていて、まわりの人も「ああ、神が降りてこられてよかった」と感動の面持ちになり(なかには本気で号泣している人もいる)、以後の賛美にますます力がこもる、というのがごく普通の風景になっているらしい。

ゴスペルの音楽的高揚感が生み出す宗教的体験の原風景、ということなんだろうし、こういう場面で経験される、「自分より大きなものとの一体感」みたいなものが日ごろの信仰を支える力になってるというのがよくわかる。

深夜。えっちらおっちらと真っ暗な高速を走って帰宅。