六日、金曜。

朝。AI演習。ゲーデル数。

午前。「最近どお?」というような話をしていたのだが、応えるべき中身がない。

・・・そういえば、あさがおの花が咲いたな。

夕方。テイラー演習。「個人の問題としての宗教」は、世俗化への流れとあいまって、宗教そのものを消去する方向へと進んで云々、というところ。

教会組織と切り離された、内的コミットメントとしての宗教体験、というあたりの実相がうまく伝わらない。

私じしんは宗教者ではないし、個人的にそこまでの体験をしたことも(幸か不幸か)ないわけだし。。。

欺瞞的にならざるをえない話なら、最初から三人称の問題として、「所詮は他人事」として語るのがある意味では誠実なんだろうかと思ったり。

朝日の夕刊にちょうどそのあたりの記事が載っている。自殺した息子の死をどう受け止めるか、か。