11日、月曜。

朝。自業自得の寝不足。

あちこち書類を送り出したり資料をかき集めたり。ミスをしてそうな気がしてしようがない。

寝るに寝られないし、鈍牛のごとく先に進む。

夕方。ローティ関連の情報を検索していると、いきなりObituaryが飛び込んでくる。話は聞いていたし、来るべきものがきた、としかいえないのかな。「ダック&ウィーブしては煙幕を張る類まれな才能に恵まれ」、「右からも左からも攻撃される」自分を健全とみなした75歳」、か。

クワインもウィリアムズもデイヴィドソンも、「20世紀の哲学者たち」がどんどんいなくなっていく。

しかし、「20世紀の哲学者」と呼ばれるに値するのは誰あたりからなんだろう? 「最初の主要著作」の出版年をおおよその分水嶺にするとして、

○ジェイムズ(42年生)/フレーゲ(48年生)/ベルクソン(59年生)/フッサール(59年生)あたりが「19世紀寄り」から「ぎりぎり境界線をまたいでいる」世代で、
ヒルベルト(62年生)/西田(70年生)/ラッセル(72年生)/ムーア(73年生)あたりから「20世紀」の空気がただよい始めて、
ケインズ(82年生)/ハイデッガー(89年生)/ウィトゲンシュタイン(89年生)/カルナップ(91年生)までくると「もはや19世紀ではない」

という感じになるのかな?

すると…チャルマーズ(66年生)なんかが「境界線」から「やや21世紀より」の哲学者にカウントされ始める世代で、私の世代かちょっと下の人たちが40歳かそこらで書く著作から「21世紀の古典」が始まる、ということになるわけか。

ふむ。

ついでに、百年後からいまの年代を振り返るとどんな感じになるのかな?

「生物学、認知科学宇宙論等、最先端の科学分野と往還しつつ、いわゆる分析哲学の枠を突き抜けたところに成立する画期的な業績が二十一世紀最初の哲学的パラダイムであった」、くらいの記述に落ち着くんだろうか?

いずれにせよ、「歴史がある程度繰り返す」ということであれば、あと十年くらいのうちに「百年後まで残るどでかい著作」が世に登場する、ということなんだろう。ウィトゲンシュタインクラスの化け物が今の知的風土のなかで勉強し始めてるとしたら、何かとんでもない仕事が
でてきそうな雰囲気は濃厚に漂ってるわけだし。

ひとごとだと思えばこそ勝手な空想も楽しい。

…勉強しよっち。

朝:豪華充実朝食。ごちそうさまでした。昼:うどん。夜:初鮎。