30日、月曜。

イメージ 1 今日も快晴。

授業を気にしなくていいうちにサーベイを終らせてしまいたい。ここ数日、Darwall, Railton, Gibbardあたりのペーパーをあさっていたのだが、この人たちは全員ミシガンの所属。ここの倫理学は伝統的に強かったわけだけれど。これまで読んできたものとはなんとなく違って新鮮。

これだけメンバーがそろっていると、優秀な学生も集まるようになってるんだろうか? 中西部の州立巨大校って、いまいち様子がわからない。

午後。天気に誘われて、自転車で郊外をぶらぶら。途中でボトルを何本か名前買い。重い。(写真に写っているのは私ではありません。)

夜。本棚を眺めつつ、なんとなくPhlippa Footの本を開く。この人とかMurdochとか、読まなきゃと思いながら置き去りにしてきたものばかり。

マクダウェルと話をしたときにずいぶんと感じたのだが、二十世紀中盤から後半のイギリス系倫理学者って、日本ではあまりにも光があたらなさすぎだ。(ちなみに、フットはアメリカ人扱いなんだろうか? というか、この人はひょっとしてまだ生きてる?)

ストローソンの「影響の小ささ」ということでマクダウェルがびっくりしていたのを思い出す。当時のオックスフォードではクワインよりよほど影響があった、っていう。

WilliamsにしろWigginsにしろTaylorにしろ、30年前後生れの人たちは例外なくMurdochなりStrawsonの洗礼を受けているわけだろう。(10歳違いくらいか? BerlinとかAyerとかがさらに一世代違いくらい?)当時のオックスフォードが、天才オースティンの一言で片付けられるほど薄いものじゃなかった、というのはイグナチエフのバーリンものなんかを読んでてもよくわかるわけで。

30年代のケンブリッジだって、なんとなく知っているつもりでいたけれど、ケインズやらラムジーやら、これだってI先生の仕事がなかったら間違いなく知らないままだったわけだろうし。。。

二十世紀の書き物だって、埋もれてしまえば正直それまで。時間のあるうちに、読めるものだけでも読んで、少しは後に伝わるかたちのものを残しておかなければ。

新しいものばっかり追いかけるんじゃなくて、まず歴史的に読むべきもの、伝えるべきものがたくさんある。

朝:トースト。昼:ざるそば。夜:ローストビーフ