16日、日曜。

ぽっかりと時間があいて日中は京都市内をぶらぶら。

それにしても暖かい。

お昼。ぶらぶらと書店めぐりをしているうち、うわさに聞いていた石川訳『純粋理性批判』を発見。

もう出てたんだ。

Verstandが「知性」はともかく、Vorstellungは「観念」ですか。

「概念史的にはこう読むんだ」ということなんだろうけれど、ロック的な「個人の内面に直接与えられたもの」的なニュアンスが強く出すぎないだろうか。

これだと、表象作用の社会性というか、「公共の空間を開くのが批判の機能だ」という論点(ヴェルラームのベーコンのあれ)がぼやけちゃう気がする。

わたしみたいに、「その後の受容史まで含めてカントだろう」という人間にはちょっと厳しい。

邪道は承知のうえで、「批判が何を成し遂げたか」というレトロスペクティブな観点から訳したものとか、むしろそっちが読みたい気がする。

だれかやってくれないだろうか。(第一批判はもういいか。)

夕方。南下して一路実家へ、と思ったら事故で高速が渋滞中。

一時間ほど遅れで到着。