16日、土曜。

朝。昨日から久しぶりに天気が悪い。霧雨のような天気が続いている。

午前。Bearsのシーズン終了を記念して表彰式。記念のトロフィーをもらったり注文してあった写真を受け取ったり。

ほんの十日ほどあいただけなのに、みんなの顔が懐かしく感じられてしまう。

午後。掃除したり、たまってきたゴミをまとめて出したり。

そういえば、今の住所でも前のアパートでも、バークレー/アルバニーあたりでは資源ごみの「分別収集」がいまいちきっちりなされていないのが気になっていた。

「普通ゴミ」と「資源ゴミ」の二通りは区別されているものの、「資源ごみ」のほうは、紙でもビンでも缶でも乾電池でも、ばかでかいコンテナの中に片っ端から放り込むだけ。

細かい分別がいらないし、捨てるがわとしては楽なのだけれど、これが「環境にやさしい」システムだとはとてもいえないだろう。全米トップの先進的政治都市で、住宅太陽光発電や公共交通機関へのzero-emission vehcleの導入で環境保護意識の高さもヨーロッパなみ、とかいうけれど、それって掛け声だけというか誇大広告じゃないのか、などと思ったりしていたのだが、どうもそうではないらしい。

(*ACトランジットというイーストベイのバス会社は、廃棄ガスをださない水素エンジン車両の台数を徐々に増やしつつあるし、サンフランシスコのmuniというバスは、ふつうのバスなんだけれども架線から電気を引っ張ってきて走る仕組みになっている。)

聞いたところによると、ベイエリアの各自治体は、そもそも「資源ごみのリサイクルを通じた環境の保護」という課題に熱心に取り組んできたのだが、各家庭からの資源ごみの回収率がいまいち上昇せず、それがもう一段効率的なリサイクルシステムの実現を目指す市当局のハードルになっていたらしい。

そこで発案されたのがいまのシステムで、「ゴミを細かく分別して」なんていってると面倒くさがりのアメリカ人は協力してくれないから、「分別しなくていいから片っ端から放り込んでください」ということにしてまずは回収率をあげてしまおう。そして、ごたまぜになった資源ごみに対しては、缶なら缶、乾電池なら乾電池をかなりの精度で仕分けする専用の機械を開発して、まとめて回収したあとで細かい種類の分別をやってしまえばいいじゃないか、というやり方で対処することになったんだとか。

あてにならない市民の意識改革に期待するよりは、技術面での革新で眼前の問題を乗り切ったほうが合理的だ、というのはいかにもアメリカ的な発想なんだろうけれど、乾電池と新聞紙を一緒にしてゴミ箱に放り込む、というのにはやはり抵抗を感じてしまうなあ。。。