ふつうのサイクルにもどる。それだけのことでなんだか安心する。
道徳心理学は授業とディスカッションのセット。フランクファート。
午後。雨がふりだす。金曜に続いて今年二回目の激しい雨。
玄関口でぼんやりながめていると、ほとんどの人がためらいなくそのまま雨の中に突入していく。せいぜいが洋服のフードをかぶるくらいで、「あ、今日は雨か」とつぶやいてはどんどこどんどこどしゃ降りに向かって突っ込んでいく。
傘を開く人は二人か三人に一人、くらいの割合。
傘をささない人たちも、走ったり急ぎ足に歩いたり、という感じではなく、びしょぬれのまま堂堂と歩く。
信じられないことだが、こちらでは「傘をさす習慣」がそれほど根付いていないということらしい。
思えば、九月ごろ、傘を買おうとあちこちのお店をまわってもみつからなかったのだが、これは「そもそも人びとが傘をささないから(売らない)」ということだったのかもしれない。
バス停では、人びとがびしょぬれを気にせずバスに乗り込んではそのまま席についていく。ACトランジットががちがちのプラスティック製座席にしているのはこのせいか、と合点がいく。
多少の雨にへこたれていたのでは、狩猟採集文化を維持することはできなかっただろうから、それでかれらは雨が平気な体質になっている、ということなんだろうか?
「春雨じゃ、濡れていこう」はあくまで異国の文化になるらしい。