12日、水曜。

午前。Wallceの道徳心理学。Dancyによる「非心理主義的な行為の理由の構成」、というテーゼに半分同意、半分抵抗しながら、認知状態だけで行為者に対する規範的理由を構成することは充分可能だ、と論じるところ。

「動機づけに関わる理由」は消去可能なのだから全部消してしまえ、というのは初めて聞いた過激な主張。ちょっぴり興味をひかれる。

午後。Martin。ドレツキとカッサム。

マクダウエルで「認知」をテーマに博士論文を書いている院生が二人ほどいて、彼らが議論をふっかけ、そこにAyersとCambellがわって入りながら授業が進行する、という構図。(ちなみに、Cambellの英語は「これでもかっ」というほどのスコットランドなまり。はじめて聞いたときはどこの言葉かと思った。)

なじみのないテーマでベラベラやりはじめられるとさすがにお手上げ。

ただし、ノルウェーから来ている留学生も、今日の議論はなんだかついていけなかった、といっていたので、言葉だけの問題とはかぎらないのかもしれない。(哲学の場合、話がよくわからん、というのは日本語でだってよく起こることなわけだ。)