29日、火曜。

朝から共通教育授業。

 

お昼。生協の食堂にものすごい行列ができている。

 

「なんじゃ?」と思ったら、仙台の有名なドーナツ屋さんが臨時出店しているのだそうな。

 

午後。めずらしく会議のない火曜日の午後。

 

「プラグマティストとしてのニーチェ」みたいな話を準備する必要があってニーチェの全集を斜め読み。

 

こんな一節をみつけた:

 

「インド、ギリシア、ドイツのすべての哲学のもつ驚くべき家族的類似性は、きわめて簡単に説明される。言語の類縁性の存在するところ、まさにそこでは、文法がもつ共通の哲学のおかげで——それは、同じような文法的諸機能の無意識の支配と指導のおかげで、という意味だが——、あらかじめ一切が哲学的諸体系のある同種類の発展と順番のために用意されているというのは、まったく避けがたいことであり、同様に、世界解釈のある別の可能性への道がふさがれているように見えることも、また避けがたい。ウラル・アルタイ言語圏(そこでは主語概念がいちじるしく未発達である)の哲学者たちがインド・ゲルマン族や回教徒たちとは異った風に「世界を」眺め、異なった道を歩きつつあるというのは、大いにありうることであろう・・・・・ある文法的機能のもつ魔力とはつまるところ、生理学的価値判断と種族の条件のもつ魔力なのだ。——以上、観念の由来に関するロックの浅薄さをしりぞけるために」。(『善悪の彼岸』)

 

最後の一文とか、いいですなあ。

 

これなら、合わせ技で比較哲学のほうにも応用が利きそうというか。

 

久しぶりにめでたい気分。