17日、金曜。

一限I先生授業。演繹論理と帰納論理のdivergenceとrapprochement、あるいは、帰納論理におけるrules of inferenceの可能性について。これまでのまとめ。

しかし、ポパーを乗り越えよう、という流れは、当時のイギリス全体での課題だったのだろうか、それとも、あくまでロンドンを中心にして盛り上がっていた運動だったということなのだろうか。イギリスとアメリカの距離、というのもわからないところがあるが、ロンドンとケンブリッジ、さらにはオックスフォードとの距離というのも、意外と大きいものがあったんだろうな。

午前、ごりごりと英文論文集のproposalを書く。

午後から上ヶ原。徐々にストックを使い果たしつつある。

夕方。西宮で帰りの電車をまっていると、前に並んだ女の子たちの会話がどう聞いても漫才にしか聞こえない。

「うち、(就職活動のセミナーで)キミO脚やから電車の中なんかでもお尻をキュウッと引き締めて立っときなさい、っていわれてん。どう、どう?」 --- 「う~ん、まだこぶしいっこくらいはいりそうやなあ。」 --- 「うそお、全開やで、これで。」・・・

いや、会話の内容というより、言葉のキャッチボールのリズムが円熟期のカウスボタンそっくりだったのです。書き言葉では伝わらないのが残念。

大阪弁は奥が深い。

朝:サンドイッチ。昼:生協。夜:材料が残ったし連荘でお好み焼き。