23日。木曜日。

日ごろの勤労に感謝しつつ、寝すごす。なぜ罪悪感がともなうのだろう。

「語りにくいもの」としての精神障害。たとえば、なぜ、べてるの家で暮らす人たちの物語までもが、「わたしたちにとっての回復・再生のキーワード」として語られなければならないのか。

不誠実じゃないか、それって。「弱さゆえのきずな」とか、「絶望したところから始まるやさしさ」とか、そんなのしんどいにきまってるじゃないか。どうしてそこから話をそらして、「希望」とか「やすらぎ」ばかりを強調するんだ? S藤ナニガシはあんまり好きじゃないな。

なんだか、向谷地さんとか、当事者の人びとのことばを聞いたときの衝撃が薄れてしまった。「偏見差別大歓迎集会――決して糾弾致しません」――。そういえるようになるまで、現場の人たちはどれだけ苦労したんだろう。いや、これだけ「べてる」のことばが広まった今でさえ、彼ら/彼女らは、いやというほどの問題や騒動とむきあいながら暮らしているはずだ。

私もまた、しょせん、欺瞞的な部外者でしかないのだが。

朝:ピザ。昼:中華飯。夜:たまごスープとカレー。